恵比寿・大黒の貯金箱


 明治時代中頃から大正時代末期頃まで、縁起もの貯金箱として、恵比寿・大黒の貯金箱が、盛んに作られました。
 恵比寿さまと大黒さまは、共に七福神の一人で、恵比寿さまは、漁の神様、大黒さまは、豊作の神様、二人合わせて招福・商売繁盛の商いの神として民間信仰の対象となり、親しまれています。いつも恵比寿さまは、鯛を左手に抱えており、大黒さまは、米俵の上に乗っています。
 恵比寿さまは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供の蛭子尊(ひるこのみこと)が元になっているとされ、足が不自由だった蛭子尊は、幼少時に、親の伊弉諾尊に葦の船に乗せられ、海に捨てられてしまい、漂着した地で、海の神様として祀られました。「蛭子」が、エビスと読めることから、現在の恵比寿さまになったといいます。ただし、恵比寿さまの由来については、この他にも様々な説が伝えられていて、どれが正しいのか分かっていません。
 一方大黒さまは、もともと日本の神様ではなく、古代インドで、人の生死を司る神様として、恐れられる存在でした。それが、最澄の手によって、中国から日本に伝えられると、徐々に優しい福の神として、庶民の間に浸透していきました。
 さて、当館収蔵の恵比寿・大黒の貯金箱を紹介します。

上の恵比寿の貯金箱、古い素焼きの貯金箱です。高さは20センチ弱で、相当重く感じます。穏やかな良いお顔をしています。裏側も、しっかり、どっしりした感じで、お金の入れ口も堂々としたものです。底には、勿論、出し口は無く、割らないとお金は出ません。全く、美術品にも見えます。

 やはり、上の写真の左側、恵比寿の貯金箱、これも古い素焼き貯金箱で、高さ15センチ、お金の出し口が有りません。ともかく、形が変わっています。一見、ダルマの変形かと見間違います。しかし、良く見ると、大きな魚を抱えています。良く調査しないと、解りませんが、変わった珍しい貯金箱かなと思います。先ずは、紹介し、今後、調査研究に励みたいと思います。写真の真中、大黒の貯金箱、木製で、出し口が有りません。高さ15センチ、軽くて、色が落ちかかっています。穏やかな良い顔をしています。素人作りの感じで、新しいものか、古いものか、良く解りません。でも、素材からしても、大黒の貯金箱としては珍しいものです。写真の右側、恵比寿大黒、ツインの貯金箱です。古い素焼きの貯金箱、高さ20センチ、お金の出し口が有りません。恵比寿・大黒の貯金箱は、ツインで一体化したものが、かなり見られます。二人とも、ふくよかで、良く見る日本人の顔をしています。

 上の写真、これも古い貯金箱、素焼きで、高さ20センチ、良くある形の貯金箱で、大小、いろいろ有ります。色付きです。これは、かなり状態の良いものです。恵比寿・大黒、どれも穏やかな良い顔をしています。

 上の写真、これはかなり新しいもので、昭和時代と思われます。陶器製で、軽く、細部に渡って、丁寧に作られています。一寸、状態が悪いです。

 上の写真、左側、張り子の恵比寿の貯金箱。高さは、20センチ以上あります。新しいものと思いますが、顔も、形も、ユニークで珍しいです。何時、何処の制作かは解りません。真中の写真、最近の恵比寿・大黒貯金箱、いずれも陶器製で、左の恵比寿貯金箱、高さ13センチ、右の恵比寿・大黒貯金箱、高さ18センチです。いずれも今様の明るい華やかな感じの貯金箱です。右側の写真、土人形の恵比寿・大黒貯金箱、高さ20センチ、何時、何処で製作されたものか解りません。色が綺麗に残っていて状態の比較的良いものです。抱えている鯛のピンク色など、目に残ります。